ミニマルヤマの子なのに・・・

墨田区にあるミニSHOP『ミニマルヤマ』の公式ブログです

Category: ミニ日記  

無茶ではあったが無理ではなかった



ミニの開発に携わった1人として


「悪夢といっていいハードワークだった」


と語るのは、15歳でMGに入社し、
その後、モーリス・モータースで
設計と製図の腕を見込まれて、
イシゴニスと共に仕事をした
ジャック・ダニエルズ氏。

img193.jpg




ミニの開発チームのメンバーは8人。

イシゴニスは、プロジェクトメンバーを集めて、
最初のミーティングで、
フロアにチョークで
3m5cm×1m37cmの四角を描き、

「これが次のクルマだ」

と言い、その前代未聞の小ささにメンバーは驚いたんだとか。



イシゴニスはアイデアにあふれた人で、
よく夕方に発想が浮かび、チームメンバーたちは
彼が何かひらめく度に、冷や汗をかいたそう。


”かつて誰も作らなかった小型車”なんて
想像するだけで、完成までに長い年月を要しそうに思えますが、

イシゴニスの頭の中では、計画のほとんどが完成しており、
実際に開発から3ヶ月たった1957年6月には、
原寸大の木製の試作車が出来上がっていたんです。


その後も驚異的なスピードで開発は進みました。


その理由は、アイデアのほとんどが、
ミニ以前の車で採用されていたため、まとまるのが速かったということです。


FFも、モーリス・マイナーで、すでに実験済みですし、
ラバコンも、アレックス・モールトンがマイナーに組み込んで
すでに披露していました。


しかしながら難題も多く、
イシゴニスにアイデアがあっても、
それをパーツにできるかどうかが問題でした。


FF機構で重要な駆動用のジョイントや、
10インチホイールとそのタイヤも
当時の小型車では採用されていないものでした。



駆動用ジョイントは、ツェッパ社により開発されたものを、
バーフィールド社が改良し大量生産を可能にしたし、

有名な話ですが、10インチタイヤは
ダンロップが開発を請け負うことになりました。


イシゴニスに限らずよくあることですが、

一人の鬼才の無茶とも思える要求によって、
商品や業界のレベルが引き上げられたと言っても過言ではありません。


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